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何もない一日じゃないはず

頭をひねれば、なにかは出てくる

後悔しないための思考法

みなさんご存知スティーブジョブズは毎朝鏡に映る自分に「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」と問いかけていたそうです。なるほど確かに、毎日こう思って生活すれば、きっと人生は楽しい。後悔なんてしないでしょう。でもこれはかなりむずかしい。こんなことができる人はきっと一握りです。今日が最後の日だとしたら、何でもないいつも通りの仕事はやりたくなくなるし、以前から観ようと思っていた映画も「人生最後の日に観るものなのか」と疑問を抱いてしまいます。食事についても、「最後の日なんだからもっと贅沢をしなくては」となってしまいます。もうキリがありません。このスティーブジョブズが実践していた習慣は、なかなかに極端な例で、本人が本当にそう思っていたのかは分かりませんが、普通は無理です。

このエピソードで大切なのは、「死を意識する」ということです。そして、「死んだときに後悔しないか」ということなのです。

人間だれしもがいつかは死んでしまいます。でもそれはおそらくずっと先でしょう。おそらく明日じゃない。かといって1週間後でもないでしょうし、1か月後でもない人がほとんどです。特別なことが起きなければ、実感が湧くことはほとんどないでしょう。かといってじゃあ明日絶対に死なないか、と聞かれて絶対に大丈夫なんて言えません。いつ起こるかなんてわからない。

じゃあ後悔しないために、ジョブズのように「決断」に対して死を意識するのはやっぱり難しい。もはや何もできなくなってしまう。ここで、私の考えを提案したいと思います。それは「これが最後の〇〇だと思う」ことです。

夕飯のとり肉料理。大好物です。ここでさっきの考えを思い出します。「このとり肉料理を食べるのは今日で最後だ」「だからめいっぱい味わおう」。こうすればいつか不意に訪れる死の時にも後悔しないで済みます。(ジョブズのように「決断」に重きを置いてしまうと目の前のとり肉料理を食べていいのか悩んでしまいます)

犬の散歩をします。大好きなワンちゃん。ここでも適用します。「このコと散歩をするのは今日が最後」「だから中途半端にしないで、やっつけにしないようにしよう」そう考えれば後悔しません。(なんだか悲しくなっていつまでも散歩してしまいそうですが)

あの時ああしていれば、というのが後悔の最たる例ですが、「あの時アレをしなかった代わりにやった犬の散歩は満足できる体験だった」とすれば後悔はしません。「なんであんなことをしたんだ」とはならず、「あれは楽しかったなあ」で終わります。やりたかったことはあったけど、代わりにやったことが楽しければいい人生だったと言えるのではないでしょうか。それは人生が楽しかったことを意味しているのですから。なんでもできるわけない私たちの人生、せめてできることは最大限に楽しもう!という考え方です。今やっていることを最大限楽しむ。これが大事なのです。

今自分はこれをしていていいのか。正解なのか。それはアナタの考え方次第でどうにでもできるのです。