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何もない一日じゃないはず

頭をひねれば、なにかは出てくる

断捨離決行!

捨てる話。

断捨離が好きである。私の断捨離に対するイメージは「家の負担を軽くした」といったところか。概念上の話だけではなく、そのものずばり、重さが軽くなる。当たり前だな。

私自身はミニマリストでは全然ないのだが、ミニマリストの方のブログを観るのは好きだ。そのせいか捨ててスッキリするのが好きになってきた。性に合っているのかもしれない。憧れはあるけれど、あそこまではいかないかな。

 

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

 

 ↑先日こんな本を読んだのも影響しているかもしれない。おもしろかった。これを読んでから実際にいくつか服を売りに出した。

 

先日実家に帰った時に、高校時代に使っていた教科書や大学受験参考書を捨てた。中学の頃に使っていた参考書も少し残っていたから、それも捨てた。捨てた今としてはなぜ残していたのかはわからない。大学受験が終了してから一度も使うことは無かった。ホコリ被っていて触るのも嫌なくらい。親からは「いつ捨てるのかと思ってた」と言われる始末。要らないけれど捨てるまででもないものを実家に送ったりもしていたためか、実家の自分の部屋はほとんど物置と化していた。物置と認識していたせいでわざわざ捨てようと思わなかったのかもしれない。

すると興が乗ってきた。もっと捨てたくなった。実家の自分の部屋には要らないものがたくさんある。なにせここで生活しているわけではないのだから、ほとんどが「ここ数年使っていないもの」だからだ。「使ったか否か」基準で判断したらほとんどが捨てるものに該当する。ということでおもちゃをいくつか捨てた。思い出がいっぱいなおもちゃを捨てるのは若干の抵抗があったが、ボロボロなものは気兼ねなく捨てた。ガンプラも飽きてきたときに適当に扱ったためかパーツが紛失しており、「また欲しくなったら買えばいいか」との一心で捨てた。中には恥ずかしいものも残っていた。小学校の頃の女子との手紙やバレンタインデーチョコの包み紙まで。恥ずかしくてすぐ捨てた。「思い出は頭の中に残っている」のだ。たとえしばらくの間思い出さなくても、というかこれから一生思い出さなくても、脳のどこかしらにこの思い出は残っているはず。思い出せないだけ。あるならそれでいいではないか。

実家の部屋をずいぶん片づけてから、今住んでいるアパートに思いをはせた。あれもこれも捨てられるな。ワクワクしてきた。実家を離れアパートに戻るとさっそく断捨離に励む。実家でいくつも本を束ねたから、そろそろ本束ねのプロになれそうだった。キツく縛ることが楽しくなってきた。束ねたかたまりを見てはうんうんと頷き自分の作品にほれぼれした。もはや芸術品なのだ。ちょうど週明けの月曜日が本の回収日だったことも功を奏した。断捨離欲がそがれずに済んだ。

というわけでうちの断捨離はすすんだ。今度はいくつか売れそうな本を売ろうと考えている。欲しくなればまた買えばいいのだ。再取得が容易であればあるほど捨てやすい。もし我がアパートに人格があるならば、「重かったのがだいぶ軽くなったよ」と私に感謝しているに違いない。「いいんだよ、そのかわりちゃんとおれを支えてくれよな」と床をさすりつつ答える私。親愛なるアパートくんのために、私の断捨離は続く。

 

新・片づけ術「断捨離」

新・片づけ術「断捨離」