何もない一日じゃないはず

頭をひねれば、なにかは出てくる

ジム・ジャームッシュ『パターソン』

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仕事の日は憂鬱な気分で起きる。「ああ、用意を始めなきゃいけない時間まであと30分。起きて本でも読もうか、それともまだ寝ていようか。」なんて毎日考えている。なんとか気合を入れて出勤。さあ仕事。代わり映えのない仕事。とりあえず目の前にあるものを片付けていく。昼食。仕事。定時。帰宅。仕事なんて辞めてしまいたい。

こんな嫌嫌な日が週に5日もある。よくやっている。頑張っているな、オレ。

でも楽しみにしていることもある。

 

毎朝通勤途中のバス停で見かけるかわいい女の子。自分は車で彼女はバス待ちだから渋滞によって時間が合わないことがある。自分が早めに通り過ぎてしまったり、もうバスが出発してしまったり。「お、今日もかわいいな」と横目に見て通り過ぎる。

退屈な仕事の合間に見るツイッター。ツイ廃。楽しい。でも同僚にツイッターをやっていることを知られたくないから画面を見られないように最新の注意を払う。

昼食。会社で頼んでいる弁当。安さ追及で似通ったメニューなのだが、好きなものがたくさんだと嬉しい。食事は偉大。

行き帰りの車内では好きな音楽を流す。たまにポッドキャストも。

帰ったらスプラトゥーンをしたりFIFA18をしたりNetflixにログインしたりマンガ読んだりツイッターしたり。楽しい。

もちろん寝るのも楽しい、寝るの最高。寝る前に明日の仕事のことが頭をよぎるけど、睡眠という喜びの前にそれは消え失せる。明日のことは明日考えれば良いじゃない。

なんてことはない私の楽しみ。これらを楽しみに毎日を生きている。「そんなくだらないことを楽しみにしてるんかい」と思う人もいるだろう。でも私にとって楽しくて欠かせないことは間違いない。

もしこれが奪われてしまうとしたら、私はきっと何らかの抵抗を見せるだろう。「お前にそんな度量があったとはな」と驚かれるくらいに。

パターソンの楽しみは仕事の合間に書くポエムや夜の犬の散歩がてら立ち寄るバーでのビール。バーが襲撃されたとなれば抵抗するし、必死に書いていたノートが無くなったとなれば悲しむ。恨む。何でもない日常の楽しみを奪われたからだ。

バスの運転手としての毎日は特に楽しいというわけでもない。せいぜい乗客の変わった話を聞くくらい。1日が最初から最後まで楽しいとは言えないけれど、部分ぶぶんに楽しいは存在している。他のことは見えていない。人生を振り返ったとき、パターソンの記憶には楽しいことしか残っていない。あったことは知っているが、いちばんに思い出すのは楽しかったことになる。

彼女に対する不満もある。けれどそんなものは気にならないくらい彼女の存在を愛している。それだけでいい。ほかのことはどうでもいいのだ。あるのはわかるけど、いちばんに思い出すのは彼女という素晴らしい存在についてなのだから。

日常の闇に目を向けずに、楽しいことだけを見て生きるのが正解なのではないかと思わせる映画だった。おもしろかった。