果報は寝て待て論
ふと思った。
「果報は寝て待て」ということわざがある。意味は『運というものは人の力ではどうにもできないものだから、あせらずに時機を待つのが良いということ』(故事ことわざ辞典より)らしい。なんと寝てたって果報はやって来るのだから良い世界だこと。
でも僕たちは寝て待ってたりしてないじゃないですか。自分の目標・夢に向かって何かしらの努力をしてる。ものすごく小さいかもしれないけど一歩くらい進んでるじゃないですか。寝てるだけで果報はやって来るのにですよ!
じゃあ寝ちゃおう!とかそんな話でもなくて、今までの頑張りも無駄なんだって話でもない。努力をすると成果が出るのが早くなるよ!って話なのよ。例えば一か月後に果報がやって来るとして、自分の頑張りでそれが20日後だったり15日後だったり縮んでいくのが努力の成果なんじゃないの?
どんなに方向が間違っていたってそれによって来たるべき果報が遅くなるわけでもない。寝てても来るくらいだから。間違ってたとしても1分くらい縮んでるんじゃないかな。
だから自分のやってることに意味がないとか考えて落ち込むよりは「寝てても来る果報に対して、自分は頑張ってるんだからちょっとは早く来るよね」「果報はいずれちゃんと来る」ってポジティブに考えたいよね。
もちろん急ぎたい人、自分のやりたいことがたくさんあって果報をいち早く受け取りたいって人はちゃんと正しく努力しないといけないよね。
やっぱりこの世ってネガティブに考えちゃう人が多いような気がして、それは自信もなくすし自分にとってあまりいいことじゃない。ひねくれ野郎が屁理屈こね回して楽しいに変換したのを真に受けてみようぜ。ほら、一休さんなんて屁理屈でみんなを幸せにしてきたから今でもその話が残ってるんだし。ポジティブバカみたいに思われちゃうかもしれないけど、生きてく上でいちばん大事なのって「幸せであること」でしょ?だからみんな幸せになろうよ。