何もない一日じゃないはず

頭をひねれば、なにかは出てくる

映画とか本とか音楽とかの感想が書けないんだけどみんなどう

映画を観たり本を読んだりテレビを観たり音楽聴いたりするのが趣味で、趣味っていうくらいだし観たり読んだりすると超感動する話とか最高!って思う話とか凄すぎてみんなにも読んでもらいたいだとか思うことがたくさんあって、その時にせっかくブログやってるんだしそこで紹介しようなんて思うんだけど書評というか感想というかがちっとも書けない。わかっちゃいるけどとりあえずやってみようというわけで書いてはみるものの「なんておれの文章つまんないんだろう」とか「せっかくのおもしろい話がこんなんじゃ1ミリも伝わらないぜ」とか思うしそもそも文章が全く浮かばないとかもう散々で断念。結局勢いよくバツを押して閉じる。WINDOW閉じる。もちろん保存もしない。ああ残念だという気持ちで書くのをあきらめる。

書きたいことは一文くらいはある。でもそれを上手い感じに構成したいっていうか響くようにもっていきたいんだけどむずい。欲出ちゃってます?うーんふーむと考えてるとその書きたいと思っていた一文も陳腐なものに見えてくる。めっちゃキラーセンテンスだなって思ってたのに。ところで「一文」って「いちぶん」って打って書いてるんだけど感じだと「いちぶん」っていうより「いちもん」って感じで微妙で嫌だな。

そもそも自分が文章が上手いとか思ったことはなくて、むしろ下手だなと思っている。文章全般の話じゃないけど例えば映画とか本とかの感想を書くときに必須なのが”あらすじ”だと思うんだけど、それを書くのが超苦手。あらすじってどこまで書いていいのか分からないし分量をどのくらいにすればいいのか分からないしていうか書いててつまんない。あらすじとかどうでもいいじゃんって気持ちに途中から100%なる。でもあらすじが入っている感想文は親切で分かりやすいから入れたい。うまいあらすじはそれだけで読み手に観たいと思わせる力があると思う。そんなに悩むなら公式サイトとかウィキとかのを引用しろよって感じだろうけど自分でもそう思うけどそれはしない。理由はない。

知識量の問題もあるかもしれない。観てすげえ好き大好き超面白かったしあの映画のオマージュもあるなって思ってもその感想が間違ってたらどうしようとかお前のその見方甘いぜとか言われたらどうしようとか考えて消しちゃう。そんなの気にしてたらブログなんてかけないしお前だって散々間違ったこととか偏ったこと書いてきただろうにいまさらかよとか言われそうだしただの個人ブログなんだから思ったことを間違っててもそのまま書くことに意義があるんじゃねーかって感じだけどそうはいかない。消しちゃう。理屈でわかってても体がついて行かない。心がついていかない。こまったもんだ。自分が他の人のブログとかで映画や本の感想を読むときにこの感想は薄いなとか間違ってるよとかあんまり思わないから気にするなってことよね。間違っててもこのクソ野郎とか思わないしこいつはおれより分かってない→おれの方が分かっててかっこいいってなって鼻が高いからむしろいいじゃんって感じかも。

音楽に至ってはまじわかんない。おれ音楽やってたわけじゃないしこのコード進行がとか全然わかんないせいぜいわかって歌詞のノリのよさっていうか母音の感じとかなんだけどじゃあそれでどんな感想を書けばいいのよって感じ。でもおれのなかでちゃんと好きな音楽とそうでないものはあるんだからそこを上手く文章にできたらいいわけだけどむずいよね。音楽雑誌とかほとんど読んだことなくてそこらへんの経験値を積んだらどうにかなるのかわからんけどやってみる価値はありそう。そう、だからネットとか雑誌とかでいろんな人の感想読んでなんとなく構成とかボキャブラリーとか学べばいいのかなって気がする。

大事なのはとにかく読んでみて観てみておもしろかったことを伝えたいっていう情熱が文章に入っていることなんだと思う。「超面白かったやばいまじやばいもう二回観ちゃった一日で二回観ちゃったまじやべーし観てる時間一瞬に感じられたしすぐ親友にLINEしたもんで借りろって言ったしつーか貸すって言ったしで見せたらそいつも超おもしろいって言ってきたからやべーよなって話になって気づいたら彼女ができてた」とか書いてあったらスゲーな面白そうだなとりあえず観てみるかって気持ちになるもんな。ネットにたくさんある映画とか本とか音楽とかの感想の中にちょっとくらい変なやつが混ざってたっていいじゃない。

この文章には何の結論も無いけどこういうことを書いてああこいつは感想を書くのが苦手なんだなあとか思ってもらってこれから書くかもしれない映画とか本とかの感想に対するハードルを下げるのが目的だったりもする。さっき心がついていかないってかいたけどそれを克服するために書いたとも言える。